- 日程:2021年10月2日(土)13時30分 開式
- 場所:あましんアルカイックホール
プログラム
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あましんアルカイックホール
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オープニングセレモニー
素敵な歌声を響かせた 紙ふうせん(尼北14期生) -
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実行委員長式辞:
同窓会長 宮本毅(尼北27期生) -
学校長挨拶:大内一浩校長
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司会:松山薫(尼北37期)、
放送部(尼北71期) -
兵庫県副知事祝辞:
荒木一聡副知事
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尼崎市長祝辞:稲村和美市長
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PTA会長挨拶:会長 橋本達夫
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在校生よろこびの言葉:
生徒会長
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記念品贈呈・挨拶:
重要無形文化財「木工芸」保持者 村山明(尼北11期)【右側】 -
同窓生よろこびの言葉:
楽しいお話で会場を盛り上げる 桂米團治(尼北26期) -
記念講演:京都大学高等研究院物質-細胞統合システム拠点
(iCeMS) 教授 鈴木淳(尼北45期) -
※掲載写真は、写真部からも提供頂きました。
※表記の肩書きは開催当時のものになります。
記念誌・記念品
寄贈品
尼崎北高等学校同窓会
100周年準備委員会より
創立100周年記念式典を終えて
ご挨拶
100周年準備委員会より
創立100周年記念式典を終えて
ご挨拶
創立100周年記念事業御礼
株式会社みかた建築事務所 代表取締役
同窓会会長宮本 毅【尼北27期】
同窓会会員の皆様におかれましては「withコロナ」の下、新しいライフスタイルにて柔軟充実した日々をお過ごしのこととお喜び申し上げます。
昨年の10月2日土曜日に「あましんアルカイックホール」に於いて、荒木一聡兵庫県副知事、稲村和美尼崎市長そして歴代校長をはじめとする多くのご来賓をお招きして執り行いました母校創立100周年記念式典は、式典当日の二日前に新型コロナ感染による蔓延防止等重点措置が解除されるという緊迫した状況下のものでした。そして法の縛りが解けたとはいえ気を抜くことなく、現役生は二席に一人の配置とし、式典開催中に休憩時間を設け場内換気を行うなど感染防止対策を徹底して行いました。その結果幸いなことに式典開催を起因とする感染は一切報告されませんでした。式典の内容も各方面から多くお褒めの言葉を頂戴し成功裏に終わることが出来ました。記念事業実行委員会をはじめ関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。
また記念事業への協賛金を会員の皆様にお願いしたところ、多くの個人・法人の方々から賛同を賜ることが出来ました。お陰様で充実した式典を開催する事ができ、また母校への記念品(パーゴラ)贈呈等、大変有意義に活用させて頂いた事をご報告申し上げます。本当にありがとうございました。
さて、本年も71期生274名の新しい同窓会会員をお迎えしました。「名門尼北」の復活を象徴すべく、進学組の皆様は国公立大学合格者40余名をはじめ、より研鑽を積むために専門学校、大学等へ進学されました。また就職組の皆様は立派な勤務先を選ばれ、新社会人としてのスタートを切られました。いずれにしても民法の改正により146年ぶりに成人年齢が引き下げられ大人の仲間入りをされたわけですから、そのメリットとデメリットをよく認識され、責任ある行動を取って頂くようお願い致します。更に申せば責任は取るだけではなく果たすものであります。
どの道を選ぼうとも人生は巡り会いの連続です。巡り会った相手から何を掴んでわが身に付けたか、その人の人生はその収支管理計算書です。会員の皆様には是非、毎年黒字の計算書が出来上がりますことを祈念申し上げます。
最後に、いつも手弁当で同窓会報の作成に取り組んで頂いている編集委員の皆様とその発行の原資となる協力金を賛助頂く皆様に心より感謝を申し上げ、ご挨拶と致します。
北高100年の歴史の仲間入りに
前PTA会長
橋本 達夫
令和2年度・3年度にPTA会長としてお世話になりました橋本達夫と申します。
宮本会長をはじめ、同窓会役員の皆様には大変お世話になりました。私がPTA会長に就任した令和2年5月には既に「100周年記念式典実行委員会」が発足しており、毎月1回のペースで会議が開かれておりました。そのため、前会長からの引継ぎで実行委員の一員として副会長2名と共に参加させていただいたので、当初は同窓会の皆さんが主導でされているので我々PTAは費用負担をすればいいのかなぁ、くらいの思いで参加しておりました。しかし回を重ねるごとに先生方も含め同窓会の皆さんの熱量、北高への思いの強さに圧倒されて、我々も1メンバーではなく、本会の主要メンバーと言う意識を持って会議に取り組むようになりました。役割としては在校生や同窓生にお渡しする「記念品」と学校に寄贈する「記念贈呈品」の選定・手配でした。特に「記念品」の選定においては、須賀副会長と飯田副会長が考えに考えてレイアウトや業者とのやり取りをとても熱心にしてくださり、大変思いの詰まった「記念品」となったと自負しております。
「記念贈呈品」も同窓生であられる北川工務店・北川社長様にご尽力いただき、恒久的に生徒たちのためになる「パーゴラ」を中庭に設置していただき、生徒たちの憩いの場になることを楽しみにしております。
そして、記念式典の日が近づくにつれ会議も更に現実味を帯び、緊張感を持った充実した時間となってまいりました。前日の準備・リハーサルにも参加させていただき、いよいよ明日になったと言うワクワク感と皆さんの前でのご挨拶の緊張感でドキドキしておりました。そして当日、在校生・同窓生・先生方・多くのご来賓の皆様、約1200人での記念式典が始まり、実行委員の皆さんの裏方としての素晴らしい準備・段取りで無事盛会に終えることができました。PTA会長としての挨拶を、紙に書かず読まずにお話ししようと決めたので、挨拶の直前まで頭の中で何度も何度も繰り返し、ぐるぐると目が回りそうでした。堅い挨拶はやめようと思っていたのでふざけてたな!とお叱りを受けるかと構えていたのですが、当日の実行委員会の朝礼の場で宮本実行委員長が、「今日は皆さんで楽しんで北高の100歳の誕生日をお祝いしましょう!」と仰ってくれたので、心置きなくお話しすることができ、皆さんにも「良かったよ」とお褒めいただきました。
そんな温かい実行委員の皆さんと2年間ではありましたがご一緒でき、思い出に残る10月2日(私の誕生日)になったことを大変感謝しております。そして、息子と共に私にとってもこの尼崎北高校は母校となりました! この先もずっと応援してまいりますので、どうよろしくお願いします。本当にありがとうございました。
創立100年記念事業を終えて
100周年記念事業 実行委員
濱崎 剛吉【尼北37期】
同窓生の皆様には日頃から尼崎北高等学校同窓会の運営にご理解ご協力を頂き感謝申し上げます。
さて、同窓会100周年準備委員会担当副会長を拝命してから数年にわたり、宮本会長の基本方針(『100周年記念事業は現役生の為、現役生が楽しめるよう計画して欲しい』)に従い進めてきました。実行委員会以外、開催会場との調整、出演者とのミーティング等、小野委員長をはじめとする委員会メンバーには大変お世話になりました。ご多用の中、時間をつくり、また手弁当でご協力いただき感謝致します。更には大内校長先生をはじめとする校内事務局の皆様にも、詳細にわたる資料を作成して頂きました。心より感謝申し上げます。
記念事業では、現役生への熱いエールを頂きました。「紙ふうせん」の後藤様、平山様には、名曲『翼をください』をはじめとする素敵な楽曲をご披露頂きました。桂米團治様には、尼崎北高校在籍時の思い出話を面白くも熱くご披露頂きました。記念講演では、鈴木淳教授に難解な研究内容を分かり易くご説明頂いたばかりでなく、素敵なダンスまでご披露頂きました。そして、現役生に熱いメッセージを届けて頂きました。
また、残念ながらコロナ禍の影響で中止となった祝賀会にもご活躍中の同窓生にご出演頂く予定でした。桂かい枝様とじゅいんちダビッドソン様は共に水球部OBとのことでクラブ活動の思い出話をトークセッションして頂く予定でした。また、あまゆ〜ず様には、尼崎市制100周年ソング『あまがすき』など素敵な楽曲をご披露頂く予定でした。
ご出演、ご講演頂きました皆様からは、『尼崎北高校の為なら最優先でご協力します!』と二つ返事で出演することを快諾して頂きました。感謝申し上げます。
記念事業後、現役生と印象に残ったプログラム等について話をする機会がありましたが、思い出に残る記念事業だったと感じました。
今後、創立150周年、200周年に向け、この100周年記念事業の記録を次代へ残したいと思います。
一期一会を大切に
100周年記念事業 実行委員
坂根 枝美【尼北37期】
歴史に残る100周年記念式典の実行委員に携われたこととても光栄に思います。
副会長をしている同級生に声をかけてもらい記念式典の会議に参加させてもらうことになり久々に尼北の門をくぐり新校舎を見上げると外観はカッコ良く様変わりしていました。そして校舎に一歩足を踏み入れると、尼北生だったあの頃の魂がじんわりじんわりと心の奥底に眠っていたものがゆさゆさと音を立てながら湧き出てきて、何故だかワクワクドキドキ。新校舎になっても魂ってあるんだと感じました。
すれ違う在校生の生徒からは気持ちの良い心からの挨拶。100周年の記念式典、前日当日とも在校生の学生の態度は素晴らしいもので明るくのびのびした姿を拝見できてとても気が引き締まる思いでした。
当時学生時代の頃にはピンときていませんでしたが、卒業してそれぞれの人生を経験し過ごしている同級生に再会する機会が増えてきましたが、これからも一期一会を大切にし尼北生と言う誇らしい気持ちを持ちながら尼北卒業生の1人として感謝と敬意を込め尽力を努めていきます。
100周年事業に参加して
教諭
森 千永子【尼北51期】
実行委員会の学校側メンバーとして100周年事業の大半を担ってこられた濵上先生と今田先生が、昨年度末で転勤されました。本来ならばこのお二人がふさわしいのですが、分不相応ながら私が書かせて頂きます。
今回は100周年という責任の大きさのみならず、コロナウィルスの流行という不測の事態が重なりました。私は2年前母校に戻り、お二人が積み上げてこられたものの最後だけをご一緒させて頂きましたが、お二人の先生方にとっては大変なプレッシャーだったように感じました。
同窓会(卒業生)と学校(在校生、職員)が参加し、何とか式典が開催できたことはとても幸運だったと思います。しかし感染対策で座席の間隔を取ったため、PTA(保護者)の皆様に参加して頂けなかったことは残念でした。
最後に私個人の意見として、記念誌の作成に関して同窓生以外の教員の大きな協力があったこと、管理職、中でも大淵事務長に式典運営等で助けて頂いたことを有り難く感じました。そして多くのご来賓が参集された行事に協力できたことを嬉しく思っています。
創立100周年記念式典に
ご出演・ご講演いただいた
皆様よりメッセージ
あまきた
フォークデュオ
オープニングセレモニー紙ふうせん
後藤 悦治郎【尼北14期】
尼北創立百周年記念式典。開催会場は、アルカイックホール。かっての「尼崎文化会館」である。およそ六十年前の、高校二年生の秋に音楽祭が開かれ、僕は後部座席に陣取って、ブラスバンド、合唱をぼんやりと聴いていた。少々退屈になって、うとうとし始めた時、舞台中央に一台のピアノが押し出され、ソロの歌唱となった。淀みない、澄んだソプラノがホールに響きわたり、僕の右脳と心を直撃した。「誰や?天使のようなソプラノの、よく通る声」「ひらやま・さん・やん」
そのソプラノの女性とデュオを組み、「紙ふうせん」として、百周年の式典で、現役在校生達に歌を聴いてもらっている。
何んと名誉なことだろう。青春のど真ん中が「尼北生だったこと」。自主、自律、愛情、協調の「何んたるか」を教えて下さった先生がいたこと……。
百周年の舞台に立ちながら、歌いながら、マスク姿の在校生達を見つめながら、尼北校歌の一節が胸底に浮かび上がってきた。
♪緑なす嫩草の野辺 いと純く知性研きて 弥高き真理究めむ
平山 泰代【尼北14期】
尼北生だった3年間を、今、思い出している。生徒達のざわめき、食堂からのいい匂い、「カーン、ウォー、はい、ヨッシ!」とグラウンドで弾ける運動部の音と声。風に乗り耳に心地よいブラスバンド部のサウンドとコーラス部の歌声。
中学生までは自分の視野に飛び込んでくる、限られた行動しか出来なかったけれど、高校生では、その範囲が段々と広がり、一日一日の活動が大人への成長の道標として、心と身体を育んでくれたように思います。浅い緑と濃い緑葉が混じり合い、青空に向かって伸びゆく若木だったのです。
あの尼北での3年間に「ありがとう」と感謝します。
百周年の記念式典では、ブラスバンド部の生徒達と一緒に「翼をください」の大合唱をする予定でしたが、コロナ禍で実現が叶わず、私にはそれが心残りでした。でも、「紙ふうせん」が「翼をください」を歌っていた時、式典に参加していた在校生達は、それぞれの願いをこめて、きっと心の中で一緒に歌ってくれていたのでしょう。
母校100周年によせて
落語家
同窓生よろこびの言葉
桂 米團治【尼北26期】
先般の100周年の記念式典では、次のようなことを申しました。
「昭和33年生まれの私は、尼北26期生。当時は各学年10クラスありました。とても自由な校風で、自習時間は校門の外へ出ても構わない。喫茶店で過ごす生徒もいました。英語の先生が自ら、梅田で洋画を鑑賞しようと提案され、皆で『サウンド・オブ・ミュージック』を観に行ったこともありました。そうそう、1年9組の時は何故か運動部の主力選手が集まってたんですよ。野球部、サッカー部、ラグビー部、陸上部、水泳部…。だから、体育の時間は毎回大いに盛り上がりました。走り高跳びの日など、165cmまでバーが上がっても10人以上残ってるから、終われへん…。そんな生徒の積極性を先生方も喜んで下さいました。生徒を一人の大人として見て下さる風潮があったようです。」 約10分ほどのスピーチでしたが、現役の生徒の皆さんは熱心に聴いてくれました。
今の若者は素直で優秀な子が多いですね。有名どころでは大谷翔平、佐々木朗希、藤井聡太…。10代、20代前半で功を成しておられます。我々オッサンが見習うべきところ、多々あります。現役生の皆さん! 若いって素晴らしい! 10代で得た知識や経験は、生涯忘れません。さぁ、存分に尼北時代を謳歌して下さい。
そして、還暦を迎える頃、同窓会の楽しさに気づくはず。幾つ何十になっても、相手にどんな社会的肩書きが備わろうが、同窓生は高校時代のままなのです。それぞれの人生に、乾杯
同窓の繋がりを大切に
声優・タレント・マスコット作家
司会松山 薫【尼北37期】
「おはようございます!よろしくお願いします。」
100周年記念式典の舞台裏では、朝早くから奔走する実行委員、先生、在校生がすれ違う度に一瞬立ち止まって挨拶を交わしていました。マスク越しでもはっきりと届く声が清々しく、またとても心地よく感じました。
華道部は、未来へと伸びる思いの花で彩り鮮やかに、書道部は、校訓『自主・自律・愛情・協調』を1人1文字ずつ担当し1ヶ月かけて力強い文字を繋げ、急遽お願いしたインタビューでもしっかり思いを語ってくれました。
声の仕事を目指す放送部の生徒さんとともに司会進行を担当し、「会場の空気・呼吸を感じながら務めましょう!」と、変化を感じ取り臨機応変に対応が出来るよう意識しました。登壇者を○期生と紹介するごとに温かくグッと締まっていく空気。事前打ち合わせで訪れた新しい校舎に面映ゆさを感じつつも、優しく見守ってもらいながら伸びやかに過ごした高校時代の『自由のために責任を持つことの大切さ』が思い起こされました。
高校時代は体操部に所属し、教育実習は世界史を担当し、今回は司会として携わることになるとは思ってもいませんでした。私自身、ご縁の繋がりや広がりをとても大切にしてきました。全ての出会い・経験が力となっており、同窓の繋がりを大事にしたいと強く感じた1日でした。
100周年記念で司会を担当させてもらえた巡り合わせに感謝して、次世代へと繋げていけるよう励みます。
悠久の健康寿命 ~自由でいるために~
京都大学高等研究院
物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)教授
記念講演鈴木 淳【尼北 45期】
この度は尼北100周年おめでとうございます。記念式典にお招きいただき、1996年3月に45期生として卒業して以来25年ぶりに母校と関わりをもち、尼北100周年の記念日を在校生、卒業生、並びに関係者の皆様と共に過ごせたことをとても嬉しく思っています。この度、寄稿文を書く機会を頂いたのを機に、私の活動を紹介させて頂きます。
現在私は、京都大学高等研究院の物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)という研究所で教授としてグループを率いて研究を進めています。興味を持っているのは、「生体内で不要な細胞がどのように生み出され、それがどのように除去されるのか」ということです。私たちが生まれてから死ぬまで、体の中でずっと存在し続ける細胞は脳の神経細胞ぐらいで、多くの臓器において不要な細胞が除去され、それを補うように新しい細胞が生み出され恒常性が保たれています。すなわち、臓器では一生を通してリノベーションが繰り返されているのです。しかしながら、何かの理由で不要細胞が除去されなくなると、臓器機能が低下し病気を発症します。がんもそのような過程で出てくる不要細胞です。これらの病気の芽は健康なときに既に存在していますが、病気になる前に気づくことは困難です。そこで、臓器が除去できなかった不要細胞を健康なときに検出し、薬を用いて除去することで「病気になる前に治療をする」というのが将来的な私の目標の一つです。これにより悠久の健康寿命を得ることが期待されます。しかしこの実現にはたくさんの乗り越えるべき課題があります。当然ながら自分一人で実現することは不可能です。ゆえに、研究室の大学院生、研究員、スタッフ、並びに共同研究者と一緒に研究を進めることでその目標に向かって前進しています。
高校時代、芸術鑑賞部でバンド音楽にのめり込み、作曲したり、演奏したり、何かを表現することが好きだった自分が、一見内向きに見える研究の虜になったのは、細胞の研究を通してヒトの体の仕組みを知ることに喜びを感じ、目の前の研究が世界と通じていることを実感したからだと思います。まだ分かっていないことを知るために研究に取り組むので当然ながらたくさんの失敗、挫折を経験します。それらを乗り越えることは決して楽なことではありません。しかし多くの場合、挫折を経験した後に自分が前よりも成長していると感じます。挫折を経験することで、時折ある成功の喜びも、人を労わる優しさも手に入れることができたと思います。尼北在校生のみなさんも自分の目標をたてて失敗を恐れずに思い切り取り組んでみてください。それがどのようなものであっても力を尽くし、挫折した時はただそれを受け入れると良いです。しばらく充電すると、力が湧いてきて自分の成長を感じるはずです。精一杯やっていると必ず次のチャンスが来ます。その先に待っているみなさんの明るい未来で、一緒に何かに取り組む機会があることを願っています。